3原色ですべての色は再現できないこと

 -あるいは臨死体験で見られる色について-

 「わきめも」に虹の色は写真のフィルムに写らないという記述があった。「わきめも」は油断するとなくなっていて、気がつくと復活するサイトだ。行方不明になっているのを検索エンジンで探し出そうとすると、「わきめもふらず」などというのが山ほどあがってきて、なかなか到達できないという幻のサイトでもある。さて、この記事を最初に見たのは初代の「わきめも」で、三代目の「わきめも」にも、一番最初に掲載されているところをみると、わきさんのお気に入りなのだろうと思う。私が、この記述を直接「わきめも」で読んだのか、それを引用した「できるかな:虹のかなたに」でだったのかは、記憶が定かではないのだけれども(文のイメージからすると直接である気がする)、読んだ瞬間に「XY表色系の輪郭が外に凸のカーブなのは知っているのに、なんで3原色で全ての色を表示できるなんていう妄言を信じていたんだろう」と思った記憶がある。

 XYZ表色系は人間が見る色を数字で表す手段で、実際には存在しない虚色を使って色空間を表示する。虚色の物理的な意味合いについては後に述べるとして、XYZ表色系で示される色の範囲を示す2次元空間の外側に凸になっているということは、いかなる波長の組み合わせであろうと、3つの波長の光(3原色)の組み合わせで表現できる色の外側に、それでは、表現できない色が存在していることを意味している。もちろん、3つの色の選び方により、表現できる範囲は異なり、いわゆる3原色を選ぶとかなり多様な色を再現できることは確かなのだけれども、虹などに見られる、単波長の光は、その波長の光を持ってくる以外には表現できないのだ。

 XYZ表色系の前に使われていたRGB表色系では、色度関数の中にマイナスの部分があった。色度関数は、多数の人間に色の比較を試みてもらって作り上げられた実験的な関数で、実際の測定は、2つの区切りの片側に特定の色を置き、もう一つの区切りに赤と青と緑の光線を照射して、両方の色が同じに感じられるようなバランス点を見つけるという作業の繰り返しの結果に得られたものだ。たいていの色は、赤・青・緑を適当に組み合わせることにより区別が付かない状態を作り出すことができる。しかし、例えば、虹の青緑あたりの色を赤・青・緑の組み合わせで実現しようとしても、実際の色に比べて青緑さがどうしても足りずに再現することは出来ない。実際の青緑の方に、赤い光を加えて青緑さを減らすことによって、ようやく、青と緑の混合により作られた青緑と同じ色に感じられるようになる。この場合、赤は比較対照となる色の方に加えられているので、数式の上ではマイナスの寄与となっている。RGB表色系ではある領域で赤やら緑がマイナスになっている。

 このマイナスの物理的意味が個人的には深い謎だった。色に関する本も少しばかりは眺めたけれども、すっきりとした答えを見つけることはできなかった。ある技術者の人は、その領域では例えば赤色の光線は抑圧的に働くと言うのだけれど、科学的背景を考えようとすると事は単純ではない。例えば、青緑の光を考える。この領域の光も赤色に感度をもつ色素に吸収される。もし、ここで励起先が最低次の励起状態だとすると、赤色の光を吸収したのと同様な化学プロセスしか発生しないから抑圧的に働く可能性はない。しかし、最低ではなく高次の励起状態にたたき上げられる可能性もあり、この場合には赤で励起したのとは異なった化学プロセスが進行する可能性はある。さて、それにより赤が抑圧されるためには、

1、もともと、赤の信号は入力がないときでも0レベル以上の下駄があり、それが0に近くなる

2、赤の信号の下駄は0で抑圧信号がかかると通常とは逆符号の信号が流れる

というどちらかが起こっている可能性がある。二番目の可能性は、神経を伝達するパルスの符号が反転することは有りそうにないので、外していいのではないかと根拠なく思っている。視神経のつながりは複雑なのではあるけれども、基本的には神経パルスの符号は一方に定まっていたと思うのである。そうなると最初の可能性のみとなるが、そうだとすると目に光がまったく入らない状態でも世の中は赤く見えることになってしまう。また、下駄の由来は熱励起を想定するのが普通だけれども、人間の目の感光領域は赤外までは延びておらず熱励起の可能性は体温程度ではあまり高くない。こうしてみると最初の考えも、どうも現実的ではなくなってくる。

 ところで、上に赤色に感じる色素でも緑や青を吸収出来ると記したけれども、色素は一般に最低エネルギーの吸収の高エネルギー側の光も、それなりに吸収できる。つまり、赤い光を吸収する色素は緑や青にも感度がある。そして緑を吸収する色素は赤には感度はないけれども青には感度がある。そして青を吸収する色素は緑や赤には感度はなく可視では青を吸収するのみである。こうしてみると、赤を除いては特定の波長の光でもって、一つの色素だけを励起することは原理的に不可能であることがわかる。つまり人間は三種類の色素で色を見ているのだけれども、青や緑に関しては、それらに主に感じる錐体からの信号による完全な緑や青をみることは出来ないのだ。

 こう考えていくと、どんな波長の光の組み合わせをとっても表現できない色が存在する理由が明らかになってくる。それは、実際の色空間では個別に感光体を励起することが物理的に不可能だからなのだ。もし、緑と青の感光体のみを独立して励起することができたら、その時に人間の感じる色は現実の色空間の外側に存在することになる。これが虚色である。こうしてみると、XYZ表色系の虚色という概念が決して空想の産物や、数学上の便宜さから導入されただけのものではなく、物理的な意味を持ちうる(実際のXYZ表色系の虚色のポジションが一つの錐体のみを励起した時に得られる値として正確かは別だけれど)ものであることが理解できる。もちろん、一つの錐体のみが励起された虚色の他に、実際のスペクトルでは実現できないような割合で3つの錐体が励起された状態も虚色になる。

 目の錐体の感度のスペクトルを図(A)示す。図から分かるように目の3つの感光体のスペクトルは大幅に重なっており、赤色側のある領域をのぞいては、一つの感光体のみを励起することはできない。一番長波長まで感度があるのがL錐体、次がM錐体、そして青緑に強い感度を持つのがS錐体と呼ばれている。

 単純に3色分解を考えると、3つの感光体のスペクトルが重なりを持たずに、図(B)のようになっている方がよいのではないかと思い人も多いかと思う。しかし、それでは、微妙な色の変化を認識することはできないのである。例えば、図(B)のような感光体の感度分布になっていると、例えば、550nmから600nmの範囲で光の色が変わっても、B感光体とR感光体は感度がないまま、G感光体の入射光強度のみが変化するので、波長が変化したのか、波長は不変で光の強度が変化しただけかの区別が付かないのである。それに対して、図(A)のように重なりがある分布になっていると、波長の変化にともない、それぞれの錐体からの信号の強度比が変化するので波長の変化を認識することができる。

 もう一度整理すると、RGB表色系でマイナスの領域が出現するのは、基準に用いた光(波長)が決して一つの錐体のみを励起するのではなく、2つ、もしくは3つの錐体を励起してしまっているためである。そして、光の波長によっては、基準として用いた光(RGBの場合は700, 546, 435nm)よりもL錐体やM錐体に対する感度が低いので、その色に対して赤や緑色光を別途加えてやらないと、基準光で構成される三角形の線上に入ってこないのである。

 余談になるが、目はある感光域をもったセンサーが集積しているという意味において、フィルムよりはデジタルカメラに近いものである。何を言いたいかというと、フィルムにおいては色の分解が厚み方向に積層した感光層によってなされるのに対し、デジタルカメラは目と同じように、ある波長域に感度を持つセンサーが平面状に集積しており横方向で色の分解を行っている(デジタルカメラ用の撮像素子の中に、厚み方向で色分解を行うのもあるが、極めて少数なのでここでは考えないこととする)。フィルムのように厚み方向で色分解を行う場合には、感度の重なりを作りにくい。感光するためには光を吸収する必要がある。最表面の層で光が吸収されてしまうと、奥にある層で使える光の量が減ってしまうわけである。つまり、色素の吸収の重なりが多いと、最表面の層で吸収されてしまった波長域に関してはより奥にある層の感度が実質的に低下してしまう。それを防ぐために、カラーフィルムにおいては、それぞれの層での吸収波長のオーバーラップは大きくは取れない。これが、カラーフィルムの色再現が特定の環境下(例えば蛍光灯照明)で悪くなる原因になっている。それに対して、デジタルカメラでは最表面層による吸収の影響を恐れる必要はないので、原理的には人間の目に近い感度分布を実現できる。つまり、本質的にデジタルカメラの方が優れた色記録が可能なシステムなのである。もちろん、忠実に色を記録できたからといって、忠実に再現できるとは限らないわけではあるが…。

 さて、光でもって、特定の感光体を励起するのは不可能だとしても、別の手法により特定の感光体だけを励起すること、あるいは、特定の感光体だけが励起されたかのような信号を脳が受け取ったと判断することは不可能とは言えない。なんで、そんなことを考えるかというと、それによって、臨死体験の時に見ると言われる、実際には経験できないような色を説明できるのではないかと思ったりするからである。例えば、何らかの化学プロセスにより特定の感光体(かそれに接続する神経)のみが励起さると、スペクトル空間以外の色が知覚されるはずである。3種の錐体のうち一番長波長まで感度のあるL錐体の単体励起に関しては、730nmより長波長側で他の錐体の感度が実質的に0になっているので、単体励起により見られる色は、例えば800nmのチタンサファイヤレーザーの赤に類似したものだろうと想像できる。一方、短波長側に関しても、400nmより短波長側でS錐体に対するL錐体、M錐体の相対感度がかなり低くなっていくので、紫の延長で赤みがかからないような色調ではないかというように想像できる(あたっている保証はないけれど)。これらに対してM錐体単体の色は、M錐体は全域で、L錐体、S錐体と重なっていて、M錐体だけが強く励起されるような波長はないので、正直なところ全く想像できない。色度図上は緑の外側にあるのだけれど、この領域の色調の変化は激しく、単純に緑の外挿になるとは思えないのである。だから、きっと、M錐体単体を励起すると、言葉で表せないような、美しさのあまりその前で立ちすくすような色なんだろうと思ったりするのである。

TOP私家版実験講座 - 3原色ですべての色は再現できないこと